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大漁旗アーカイブ

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  • 海久丸

    海久丸

    Kaikyumaru

    操業年
    平成4年
    漁種
    まき網
  • 萬丸

    萬丸

    Yorozumaru

    操業年
    昭和50年
    漁種
    まき網
  • 祐宝丸

    祐宝丸

    Yuhomaru

    操業年
    昭和61年
    漁種
    まき網
  • 沖津丸

    沖津丸

    Okitsumaru

    操業年
    平成6年
    漁種
    まき網
  • 明和丸

    明和丸

    Meiwamaru

    操業年
    昭和54年
    漁種
    釣り
  • 勇正丸

    勇正丸

    Yushomaru

    操業年
    平成6年
    漁種
    釣り・まき網
  • 勇正丸

    勇正丸

    Yushomaru

    操業年
    平成6年
    漁種
    釣り・まき網
  • 勇正丸

    勇正丸

    Yushomaru

    操業年
    平成6年
    漁種
    釣り・まき網
  • 勇正丸

    勇正丸

    Yushomaru

    操業年
    平成6年
    漁種
    釣り・まき網
  • 勇正丸

    勇正丸

    Yushomaru

    操業年
    平成6年
    漁種
    釣り・まき網
  • 勇正丸

    勇正丸

    Yushomaru

    操業年
    平成6年
    漁種
    釣り・まき網
漁 種
まき網…アジ・サバ釣り…イカ・サワラ

昔の大島の様子

Photos from that time

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海久丸

Kaikyumaru

海久丸
操業年
平成4年
漁種
まき網(アジ・サバ)

遠藤 久幸さん

爺さんは農業で、親父の代から漁師を始めて、自分と、今は息子も海久丸で漁師をやってます。大漁旗は新造船の時に知り合いや仕事仲間がお祝いに作ってくれるもので、大きいものだと2〜3メートルあって、丈夫な生地にはっきりした色合いで旗屋さんのデザインで描かれるからいろんな大漁旗がありましたね。自分は18歳から漁師を始めて、31歳の時に新造船で大漁旗をもらいました、これがその時の写真です。

当時の船は今とは違って機器の性能も操作もアナログだったけど、今の船はポイントがナビに登録できるし自動操行もできて性能がものすごく上がりました。まぁその分、魚が減った感じかな。どの船もいい漁場に行けるようになってたくさん獲れるようになったからね。魚種が変わってきたのは環境変化の影響も大きいと思いますね。当時は漁に出ると寝られなくて辛いことはあったけど、魚がとれる時は眠いのも忘れて明け方までしたもんですよ。

沖ノ島周辺はいい漁場で魚がたくさん獲れるんですよ。大島から対馬までのほぼ中間に沖ノ島があるんで、漁師たちは漁中に何かあったときは沖ノ島で救助を待つことができるっていう安堵感というか安心感があるんですよ。

大漁旗を上げるときはみあれ祭や漁師の祭りごとの時ですね。仕事始めの時には大漁旗を上げて安全を祈願してお祓いを受ける風習があるんです。島内では、潮風マラソンっていうのがあってその時は沿道に大漁旗を飾ったり、大島学園の男子バレー部の試合の時みたいに子どもの試合の応援や山笠の時にも飾ったりするね。漁師の厄払いの時にも飾って餅まきをしたり振る舞い酒をしたりするんですよ。大漁旗は縁起のいいものでハレの日や、おめでたい時、子どもを応援したり、祝いの時にも使われるものだから、使ってくれる人にも縁起のいいものになるといいよね。大島の大漁旗の上がる光景を思い浮かべてもらえると嬉しいね。

萬丸

Yorozumaru

萬丸
操業年
昭和50年
漁種
まき網

河辺 健治さん

祖父の代から萬(よろず)丸で漁師をしていて、僕は22歳から28歳まで船に乗っていたからよく沖ノ島に漁に行っていたよ。当時の漁船には今のようなレーダーなんてないからコンパスだけで沖ノ島に行っていた。だから曇って視界が悪い時は大島を通り越すなんてこともよくあったね。

大漁旗は新船の時にお祝いでいただくもので、旗のデザインはあげる人が考えてその人の名前が入っている。大漁旗を上げる時は、正月2日の「船祝い(ふないわい)」の時と10月1日のみあれ祭の時、4月の巻き網漁の出漁祈願祭の時に上げていたけど、今では船祝いをする船がほとんどいなくなったね。

沖ノ島は漁師からしてみたら魚がよく獲れるいい漁場だった。神の島として日頃から特別な島という思いがあって、尊いというかなんかそういう気持ちがあって今でもそれは変わらないね。昔は島民が亡くなるとみんなでお葬式に行ったもんだけど、漁師は、沖ノ島で漁がある時は葬式には出ずに「神様の方に行く」と言って漁に出かけたものだよ。

はっきりした色合いだから、これが大漁旗だってことがよくわかっていいね。大漁旗はハレの時に掲げるものだから、旗がはためいていた時を思い出して嬉しい気持ちが蘇るね。母親の昔の着物を娘がもう一度着るのを見るよう気持ちだよ。

祐宝丸

Yuhomaru

祐宝丸
操業年
昭和61年
漁種
まき網(アジ・サバ)

船越 信幸さん

この大漁旗はいつ、なんのために制作したものですか?
平成16年あたりに、船を購入した時にお祝いで頂いたもの
あなたにとって、漁師とは
どのような仕事ですか?
仕事のひとつ。
魚が穫れた時はとてもうれしい
あなたにとって、沖ノ島とは
どのような存在ですか?
昔は魚が穫れる漁場。何日も泊りがけで漁を行うところ。

沖津丸

Okitsumaru

祐宝丸
操業年
平成6年
漁種
まき網(アジ・サバ)

沖西 豊幸さん

この大漁旗はいつ、なんのため
制作したものですか?
平成5年5月5日、進水式の祝い
あなたにとって、沖ノ島とは
どのような存在ですか?
良い漁場。大時化で沈みかけた時に助けられた。(沖ノ島があって入港できた)
バッグを購入してくれた方へ
メッセージ
大切に使ってください。